《超不定期ハンガリー通信》ハンガリーの夏といえば民芸祭!衣装編

こんにちは、ハンガリーの夏と言えば「民芸祭」ということは、超不定期ハンガリー通信ファンの皆さまには常識ですね(?)
今年は、半年遅れ、何てことは無くちゃんと夏のうちにハンガリーから新鮮なレポートが届きました。奇跡でしょうか?
それでは、採りたてほやほやのハンガリー夏の民芸祭レポートをお送りします。ここからはハンガリーの由美さんから送っていただいた記事です。


*+*+*+*超不定期ハンガリー通信 その25*+*+*+*
『2011年・夏の民芸祭 *衣装編*』

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みなさま こんにちは。
 
こちらは7月~8月初旬と雨が多く、冷夏でした。
馴染みの八百屋さんは、「バラトン湖へ行ったのに、寒くてねー」と、夏休みを早めに切り上げ、店を開けておりました。
バラトン湖(Balaton)とは、ハンガリーの北から南へ縦に流れるドナウ川より西に位置し、細長く全長77㎞におよびます。
ここでは夏に一度もバラトンへ行かないなんて有り得ない、というほどの存在。祖父母のバラトン別荘で家族揃って夏を過ごすというのも、ごく普通のこと。
ぐるりと海に囲まれた日本とはまったく反対の、内陸に位置するハンガリーですから、ここではバラトン湖が海の代わりです。温泉地・ヘーヴィーズ(He’vi’z)もあり、ドイツや近隣諸国から保養地としても利用されています。
そんな夏のかき入れ時に、ずーーーーっと雨でした。
それがどうです、夏休みも終わりに近づいた今頃になって、猛暑。うだる暑さに街中では水が配られています。
ちなみに20日は建国記念の祝日したので、ドナウ川でも花火がドッカンドッカン上がったんですけれど、いつもその花火を合図に秋になるので(本当です)、私の身と心はすでにそっち方向へ行っていたわけです。
それが20日より少し前から強烈な日差しが戻り、その後はさらにパワーアップし、40℃近い気温となっています。
私にはもうどーしていーのかわかりません。
しかし、私のことなんかよりも観光地のほうが大事ですから、そこはアレです、大人発言として、わずかでも各地での収入が少しでも挽回できるといいですっ!
みなさま、今からでも是非バラトン湖へどうぞ!(一番行きたいのはアタシ)
 
ということで、今回はバラトン湖レポートではありませんので本題へ移りましょうか。
 
そうです、ブダペスト・王宮の夏の民芸祭です!
 
今回は民族衣装がテーマとして取り上げられており、地方色豊かな衣装に身を包んだ出品者も多く、例年にも増して目に鮮やかなお祭り風景でした。
それにしても暑かった。。。
その暑さの中、皆さん、快く撮影に応じて下さいました。
 
110826-2.jpg1)バラトン湖の西、スロベニア、クロアチアと国境を接するザラ県(Zala Megye)。
こちらのテントでは、長いスカートの上に重ねて身につける黒地の衣装が紹介されています。
(モデルを撮り忘れ・・・ マネキンです)

110826-3.jpg裾を飾っている赤く丸い花の模様は、コットン地に毛糸で刺繍され、表裏が同じ仕上げになっています。
まず一枚の布に刺繍を完成させ、丁寧にアイロンをかけた後、この丸い模様の下半分の輪郭が残るように、布地を切り落としてゆきます。
そうすると、このような装飾的仕上げになるんですね。

110826-4.jpg2)ハンガリー北東、メズークヴェシュドゥ(Mezo”ko”vesd)、マチョー刺繍の地域です。
昨年も写真でご紹介いたしましたが、ここのテントを訪れると、まずはなんといってもその全体を彩る赤い色が目に飛び込んできます。
クロスなどはレース編みの縁飾りも赤。その愛らしい華やかさに、思わず手に取らずにはいられません。

110826-5.jpgこちらでトウモロコシの皮細工をされてる女性のエプロンも見事な刺繍でしたが、テーブルに隠れてしまって見えませんね。すみません。
花柄プリンのブラウス、細かいプリーツを寄せた長いスカート、そのスカートの裾を飾るカラフルなリボンから、とても東欧らしさを感じます。

110826-6.jpg男性もこのように素晴らしく華やかな衣装です。
1900年代頃になってから色鮮やかな糸が作られるようになったということですから、少し渋いトーンで刺繍された黒地のエプロンは、それよりも前に作られたものなのかもしれません。

110826-7.jpgアップではこんな感じ。
代々受け継がれてきた装束という様子が伝わってきます。

110826-8.jpg3)同じ男性装束でも、こちらはバヤ(Baja)から南の地域、セルビアとの国境も近いナジバラチュカ(Nagybaracska)の作品です。
バヤといえばイシュトヴァーンくんの生まれ故郷。
彼の雰囲気から漂う清々しさと、この衣装のやわらかくとも直線的な部分の美しさが、私の中ではなんだかピッタリときます。
 
すっきりとした手織りのコットン地へ、丁寧にほどこされた赤いクロスステッチの刺繍。
それらをさらに引きたてる細かい仕上げと、仕立ての品の良さ。
こちらは新しい作品ですから、この衣装へ最初に腕を通した男性によって、その息子や孫の世代に引き継がれてゆくのでしょうね。
前記でご紹介したマチョー刺繍衣装のように、これもきっと100年後には時を経た風合いが出ているでしょうから、それがどんな様子かを想像をすることも、こういう作品を目にしたひと時の楽しみでもあります。

110826-9.jpg4)トランシルヴァニア地方、カロタセグ(Kalotaszeg)の衣装。
さまざまな色を重ねる、模様を重ねる、素材違いを重ねる。
その重ね具合も、風習や信仰によってそれぞれに意味があるのでしょう。
現代の都会生活者からは思いもよらなぬ美しい装飾の世界です。

110826-10.jpg見事なビーズ刺繍で飾られたエプロン。
その下に重ねられた黒地のプリーツと、赤い刺繍の帯のような布は、後ろへ向うに従って、流れるように長くなっています。
 
この衣装は祝祭日には必ず着ますよ、とのことです。

110826-11.jpg5)こちらはベーケーシュ県(Be’ke’s Megye)の手工芸協会。
ベーケーシュ県はかつてより多くのスロバキア民族と共に、ルーマニア、ロマ、ドイツ、またウクライナ、セルビアと、歴史の深い意味がその民族の混在に現れている地域です。
  
今回のテントはスロバキアの伝統民家の内部を再現。
ポスチェンカ(posztyenka)と呼ばれる石畳は民家の入口付近のもので、まさに日本の土間と同じですね。
 
ところで、衣装は刺繍とパプリカで有名なカロチャ(kalocsa)のもの。カロチャは隣のそのまた隣、バヤ、ナジバラチュカと同じ県です。
 
毎年こちらのテントでは客演として、カロチャから招待された専門家が刺繍の実演をしています。
昨年もミシンで仕上げてゆく様子をご紹介しましたが、実は今回のこの衣装のモデルとなっている方が、昨年のミシン刺繍の実演者です。
年代によって衣装の色が全て変わるそうで、こちらは50歳代のもの。 
この女性がお幾つかは知りませんが、品のあるこの衣装をまとったあまりにも愛らしい姿は、日本のアイドルも足元にも及ばないと思いませんか?
めちゃ可愛いっっ!!!と私は大絶賛いたしました。

110826-12.jpg彼女が手にとって見せてくれたのは、帽子のギャザーの寄せ方。
細かい寄せは小物用、スカートなどへは大きく寄せます。

110826-13.jpg年代別の刺繍帽子。
本来ならば、奥の赤い花のあしらったものは20代、左のピンクと紫系は30代、真ん中の水色系は40代以上。
 
青系・紫系は”悲しい”とされているので、思わず「エッ!? 30代でもう悲しいの?」と叫ぶ私に、「いやいや、今は時代も違うから10歳づつ若く考えていいわよ」と新解釈が出ました。
しかし、多少ズラしたところで、40代が悲しい色系に変わりはないんですね。。。
ちなみに、ベーケーシュ県の中でもマジャル民族(ハンガリー)の衣装は、どの年代でも同じ色の衣装だったはずなので、同じ地域といっても、その暮らしぶりを一言で表せないのは当然です。

110826-14.jpgさて、昨年、今年とベーケーシュ県について説明して下さったのはGyo”ngyi(ジュンジィ)さん。
「私は生粋のマジャルよ~」とおっしゃる髪結いと民芸の専門家であり、

110826-15.jpg私のキノコ狩りの仲間でもありま~す♪

*つづく*

最後に「つづく」とありましたね。
そうです、このレポートは続きます。多分終わるのは秋くらいでしょう。でも、いいんです。来夏までに終わりさえすれば!
ミタ
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ハンガリーの夏の民芸祭は、それはそれは楽しいらしいです。お客さまから強力に勧められました。期間が限定されているので、なかなかタイミングが合わないのですが、いつか行きたいですね。


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ピルタナウハ織りの様子です

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こんにちは、昨日無事第1回ピルタナウハ織りワークショップが終了しました。
写真はデモンストレーションを行うTakkuのヘイディさんです。
しばらく曇りや雨の日が続いたのですが、昨日はお天気に恵まれ、明るい日差しの中教室を開催することが出来ました。こういう手工芸は暗いとやりづらいらしいので、本当に良かった!
110825-2.jpgこちらは織り進んでいる皆さんです。
実はここに至るまで随分と時間が掛かっていたので、時間内に終わらないのではないかと心配していたのですが、織り始めると結構早く、どんどんと紐が出来上がっていきます。

110825-3.jpg同じくTakkuのエックさん。座って寛いでいるわけでは有りません。
エックさんが座っている椅子の脚に皆さんの織物の端が結び付けられています。その椅子が動かないように自ら重りになっているのです。
写真を撮る前に「脚が丸見えよ」と言うと慌ててスカートの裾を下ろしたエックさんです。女性ばかりだと油断してしまいますよね。

無事終了後、お2人が持参したお菓子とフクヤのコーヒー白樺でおしゃべりタイムです。フィンランドから帰国したばかりのお二人、フィンランドのお話を色々と聞けて、予定時間を越えて楽しいアフターレッスンでした。
第2回目は来週31日です。ご参加の皆さまにお会いできるのを楽しみにしています!
ミタ
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昨日は皆さんの力作の写真を撮り忘れました。来週は忘れず撮影しますね!


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TVセットで楽しみましょう

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こんにちは、ずらりと並んだのはTVセットとTVセット用のプレートです。
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昨日上の写真を先にTwitterにアップしたところ「グラスでも使えるんですね」という感想をいただきました。実はグラスを乗せるのは私のアイデアではありません。
110822-6.jpgこれは1960年代、このTVプレートの販売当時のカタログの再販版です。写真の下に同じプレートの無地にカルティオグラスが乗っているのがありますね。下の商品名を見ると「Glass Tray」と書かれています(写真をクリックで拡大します)。もちろんグラス専用、ということでもないのでしょうが、単品で販売のときに呼び名に困ったのかな。
さて、あらためてTVセットについて説明すると、ソーサーが片側にグンと大きく広がっていて、ケーキプレートも兼用している形状のカップ&ソーサーを指します。TVセットの所以は、テレビを見ながら片手でお菓子も飲み物もいただけるから、だとか。

110822-7.jpg余談ですが西洋の人は写真の様にお茶を飲むとき右手にカップ、左手にソーサーを持って飲みます。もちろん状況によっては違いますが、日本茶の様に必ずしも茶たくをテーブルに残すのではないのですね。
Photo: PAUL GROVER
さて、そんな習慣もあり左手でプレート、右手で飲んだり食べたり出来るこんな便利セットが生まれました。また1960年代はテレビが普及し始めた頃、テレビセットなんてネーミングはモダンで格好良かったのは想像できます。
TVセットを片手にテレビの前で寛ぐ・・・今ならグウタラの象徴のようですが、当時の人には憧れのライフスタイルだったのでしょう。このプレートには様々なカップを合わせていただけます。
110822-3.jpgこちらはオーソドックスにプレートとカップの同柄セット。アラビアのRiikinkukko(孔雀)です。フォルムデザインはカイ・フランク。ライヤ・ウオシッキネンが、広がった形を上手に生かしたデコレートデザインをしました。このプレートに合うのは小さめのコーヒーカップ。Kiltaコーヒーカップがピッタリと納まるサイズです。

110822-4.jpgこちらは、Riikinkukkoと同じフォルムにエステリ・トムラがデコレートをしたMalva。60年代のカタログと同じくKaltioのグラスを合わせました。爽やかなオレンジと青のコントラストが綺麗ですね。

110822-5.jpgこちらは、カーリナ・アホがフォルムデザインをした台形のプレートです。カイ・フランクのKiltaのカップと合わせてTVセットになっていることが多いので、プレートもカイ・フランク作と間違って記述されている場合がよくあるのですが、別のデザイナーによるものです。
定番のコンビ、カイ・フランク作のKiltaの大きめティーカップと合わせて、たっぷりのミルクティーがいいですね。この組み合わせでは、ライヤ・ウオシッキネンによるEmiliaのデコレートも有名です。

この3点、まだサイトにはアップしていません。気温が下がって温かい飲み物が欲しい頃にはアップ予定で準備しています。どうぞお楽しみに!
*KaltioグラスとKiltaのティーカップはセットに含まれていません。
ミタ
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日本茶の習慣からか日本ではソーサーを手に持って飲む人が少ないですね。イギリスの甥が何気なくソーサーを手にお茶を飲んでいたとき「ガイジン!」と思いました。
でも最期の台形のは手に持つのは大変そうなので、やっぱりテーブルに置いたままなのかな?


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ピッタリです♪

こんにちは、フクヤです。
フクヤにはアウトレットコーナーがあるのをご存知でしょうか?欠けやヒビ、貫入があるもの、使用感がやや多いもの、ソーサーやフタなどが足りないもの。どこか少し難があるけれど、まだまだ使えるものたちをお買い得価格でご紹介しています。
アウトレットコーナー
そんなアウトレットコーナーを上手にご利用してくださっているお客さまから、あっと驚くメールが届きました。それでは、ご紹介しますね!


こんにちは。
ピッタリです♪
さて、何がピッタリなのでしょうか。
……もうお気付きですね。
捜しものは《Φ7cm》の、出来ればチーク材。
ピッタリのものを見つけました。
フフフ。

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エストニアのムラサキ坊やからお知らせがあります。
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こんにちは。エストニア出身のムラサキです。
帽子をなくしたLotteちゃんがテーブルデビューしましたのでお知らせします。
お手伝いはスパイスジャーのPaprikaさんです。Paprikaさんはご自分のチークの帽子をLotteちゃんに快く譲ってくださって、シュガーポットに転身してくださることになりました。脇役に徹するところがとても大人な方だと思いました。
フィッティングの結果、概ねOKだったのですが、木のことですのでボクがアドバイスしまして、パッキンを取り外し、内側をLotteちゃんの頭サイズに合わせてほんの少し削りましたところ、ジャストフィットのピッタリ♪でLotteちゃんもPaprikaさんもたいそう喜んでくれました。
帽子がチークということで、チークのスカートのカップさんたちとも仲良しになりました。よかったですね。
プリンセスさんたちのクロスともよくお似合です。怒り出す人もいるかもしれませんが、アウトレット出身だからこそのかわいい変身で、Lotteちゃんも個性的なのでボクはこれからも末永く仲良くできそうです。
エストニア・ムラサキ


はい、このLotteのコーヒーポットですが、大変状態が良いものだったのですが、フタが無い、ということでアウトレットになっていたのです。
花瓶か水差しにでも、と思っていたのですが、なんともウルトラC(古い?)の技でポットとして蘇りました。しかも、Knabstrupスパイスジャーのフタの流用とは驚きです!
猛暑からここ数日は急に気温が下がって30度を下回るようになりました。涼しくなってくると温かい飲み物が出てきます。Lotteさんのフタが秋に間に合って本当に良かったと、胸をなでおろしたムラサキ坊やと私なのでした。
ミタ
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ちなみに下のクロスはチェコのもの、これも大きなシミがあったのでアウトレットにしたものですが、シミが見えなければ全然気になりませんね!


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戦争の世紀に輝いた美しいイラスト

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昨日、来月エスカのワークショップをしてくださる、つれびさんがフクヤに遊びに来られました。
【刺繍小箱エスカ】デンマークの伝統手工芸
こちらは既に満席ですので、現在キャンセル待ちを承っています。

私も以前刺繍を習ったことがあり、手工芸全般に興味があるので、楽しいお話を沢山伺って、あっという間に何時間も経ってしまいました。引き止めてしまって申し訳なかったです。

さて、私がつれびさんの作品を知ったきっかけは、トップの写真のイラストを描いたデンマークのKamma Svenssonについて調べていたときでした。1920年代から1980年代まで活躍したイラストレーター、Kammaのクロスステッチ図案カレンダー本(1980年)をつれびさんがお持ちだったのです。つれびさんはデンマークでそのカレンダーを入手したとか。

Kamma Svenssonについては、デンマーク語の資料しか見つからず、どうも所々しか分らなかったのですが、その頼りない私の理解度でもとても興味深い女性でした。何せ、1900年代初頭に生まれたデンマーク女性としては大変珍しいことに、2度結婚し、生涯旧姓を名乗っていたというのです。

Kamma Svenssonはデンマークの南の地方で1908年に生まれました。編集者であり、後に政治家になった父親は第一次世界大戦中に反体制の雑誌に関わりドイツ軍によって投獄されました。その間、子どもであったKammaは母ときょうだいだけで暮らしていたそうです。

子供の頃から家庭内でジャーナリズムについて論議されていたのを聞いて育ったKammaは漫画家を志すようになります。何故漫画家?と思われるかもしれません。推測ですが、当時はコミックなんてありませんから、漫画といえば新聞の風刺画(ポンチ画)を指していたのではないでしょうか。実際、日本も明治、大正時代はそうでしたよね(余談ですが、ムーミンシリーズのトーベ・ヤンソンも戦時中は政治風刺雑誌の挿絵を描いていました)。

夢をかなえ、1920年代から新聞に漫画を提供し、1940年代には自分の3人の子どもをモデルに子どものイラストを手がけます。1950年代には専属でいくつもの新聞、雑誌と契約、やがてアーティストとしての活躍の場は紙面以外にも広がっていきます。

絵本の挿絵もあれば、1971年と1972年にはロイヤル・コペンハーゲンの母の日プレートを担当。特に有名なのは1978年からのチボリ公園のポスター、1981年のデンマーク郵便のクリスマス切手です。また、同時期に刺繍キットメーカーFremme(フレメ)から刺繍の図案も出していて、それが、つれびさんがお持ちの一冊なのですね。

若いときから活躍している彼女ですが、なんと言っても70歳を前にしてからの活動が目をみはります。

また、イラストレーターとしてだけでなく、ジャーナリスト家庭に育った彼女は社会への関心も高かったのか、1940年代には家庭と仕事における女性の役割についてついての議論に記事を提供したり、第二次世界大戦直後にはデンマーク赤十字の記者としてドイツに赴いたりもしています。その経験は彼女を第3次世界大戦への不安に導き、また韓国とベトナムの戦争からも、非常に影響を受けたといいます。
110820-3.jpg1987年、彼女は最後の仕事である絵本「Da Prosper Alpanus og Rosabelle Verde tryllede om kap」を完成させます。

そして翌年、不治の病に罹っていたKammaは遺書をしたため、家族や友人としっかりとお別れを済ませ亡くなったそうです。

20世紀は戦争の世紀、とも言われます。20世紀初頭に生まれ、終わりに亡くなったKammaは、物心付いたときから戦争に関わり、正にその戦争の時代を生きました。その不安や心配に心砕いたにも関わらず、彼女の描く世界は色鮮やかで美しく、暗い要素は見当たりません。それどころか、その美しさは増すばかりでした。

そして、人物たちは正面向きでも横向きでも、皆まっすぐな視線を送っています。どんなに不安に襲われても、彼女は目をそらさずに、最期の時までこのようにしっかりと前を向いて生きていたのかも知れませんね。

現在在庫のあるKamma Svenssonの作品
Ira ビンテージ菓子缶 (少女と犬)(緑)
Royal Copenhagen 母の日 プレート 1971年
Royal Copenhagen 母の日 プレート 1972年
ミタ
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110820-2.jpgフレメは当時デンマークの様々なイラストレーターにデザインを依頼していたようです。これはデンマークの国民的イラストレーターBjørn Wiinbladがフレメの為にデザインした、鳥の図案の完成作品です。デンマークで自宅用に入手しました。


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